担当者 | 山田 裕史 教授(数学科) |
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開催日時・期間 | 平成25年1月30日(水) 16:15〜17:45 |
開催場所 | 理学部本館22講義室 |
大学での数学の教え方についての議論を通して,数学という学問の特性が理解できるようにしたい。
「理学部の講義のなかで数学だけ(生物や地球科学などと比べて)形態が違うのではないか?」 という問題提起を行い,さらに,それはなぜなのか,学問そのものの特質に依るのではないか, という問題を,一方通行ではなく,クラスの中で議論しながら考えて行く講義を行った。
まず想像して欲しい。微積分の講義では教科書が与えられている。そのコピー,あるいは同内容のスライドがパワーポイントで映される。教授は淡々とそれを読み上げ,時々は少し詳しく口頭で説明を加える。学生はスライドを見ながら説明を聴くがノートを取る時間はない。どうせ教科書にすべて書かれているから後で本を見れば良い。さらにはスライドのコピーは事前にあるいは後で配られる。微積分の講義が毎回こうであったらどうだろうか。果たして「充実した時間」と言えるだろうか。毎回必ず出席しようと思うだろうか。しかし例えば生物学であれば,このような講義形態に それほど違和感は覚えないのではないだろうか。実際,数学以外では「教室が暗い」講義が多いような気がする。そして学生も受け入れているような気がする。
なぜ,数学では(教室を明るくして)黒板とチョークなのか。なぜ,数学では教科書があるにもかかわらず学生はノートを取るのか。教科書を手でコピーするだけの講義であれば,そもそも無意味ではないのか。「今日は教科書の第2章第3節を各自,読みなさい」だけで話は済むのではないか。
以上のような設問に対して出席学生に意見を求めたところ,いろいろな考えが提出され,講義者としては面白かった。最後に普通の数学者としての考えを総括的に述べたが,それが結論という
わけでもなく,更なる問題提起をしたに過ぎなかったかもしれない。